日本 ロケット 開発 父

日本のロケット開発の父と呼ばれている人

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今回はロケット開発の父と呼ばれている人「糸川英夫」について書いていきたいと思います。
糸川英夫さんは、日本の工学者で、専門は、航空工学と宇宙工学のようです。

そして糸川英夫さんは、日本で初めて作られたペンシルロケットの開発者でもあり、「日本の宇宙開発、ロケット開発の父」と呼ばれているようです。

糸川英夫さんは、学生時代に第一東京市立中、東京高校理科甲類を卒業し、大学は東京帝京大学工学部の航空学科を卒業しているようです。 そして中学校を首席で卒業して、高校時代では3年間学級総代をしていたようです。 首席で卒業したのもすごいことですが、高校時代に3年間総代をしていたことも、とてもすごいことだと思います。

糸川英夫さんが大学で航空学科を選んだのは、糸川英夫さんには兄がいて糸川一郎さんと言いますが、一郎さんは東京工学部土木科を卒業しています。その一郎さんに「東京大学で1番入試の難しいところはどこですか?」と聞いた時に、「航空学科」と言われたことが理由だそうです。

そして大学卒業後には、中島飛行機という所に入社して、帝国軍の九七式戦闘機、一式戦闘機準などの設計にも関わっていたそうです。また独力ではジェットエンジンを研究し、開発していたようです。ですが、ジェットエンジンの実験段階で多くの批判をあびたようです。

そして1941年11月には、飛行機会社の技師をしていましたが、陸軍の命令のままに動かされていることに疑問に感じたことから、制約のない軍事技術開発を中心的に扱っていた、東京帝国大学の第二工学部助教授に就任したようです。1949年には、東京大学工学博士になったとされています。

また1954年2月には、東京大学生産技術研究所のなかで、研究班を作ったようです。
その研究班の名前は、AVSA(航空及び超音速空気力学)研究班と言います。翌年の1955年には、AVSA研究班はSR研究班に改組しました。AVSA研究班は元々1975年までに20分で太平洋横断する旅客機の「ハイパーソニック輸送機」の実現を目標にしていたそうです。糸川英夫さんは、企業や国などがロケットにまったく乗り気でなかったのに、口説いて回っていたそうです。

1955年3月には、東京都国分寺でペンシルロケットの水平発射実験を行いました。これが先ほど言った、初めのロケットなのです。そしてペンシルロケットは、鉛筆サイズの小さなロケットでした。 また同年の8月から秋田県の道川海岸で飛翔実験をしたそうです。そして同月にベビーロケットを発射しました。 翌年の1956年には、カッパロケットを発射し、1960年代には、ラムダロケット、ミューロケット、おおすみなどに関わっていたそうです。

AVSA研究班は元々1975年までに20分で太平洋横断する旅客機の「ハイパーソニック輸送機」の実現を目標にしていたそうです。糸川英夫さんは、企業や国などがロケットにまったく乗り気でなかったのに、口説いて回っていたそうです。

そして1967年には、東京大学を追官して組織工学研究所を設立しました。これをきに宇宙開発の前線から去ったそうです。 そして「逆転の発想」という著書を出したら、べストセラーになり、1975年には、ライターグループの「未来捜査局」と一緒に日本の未来(20年後の1990年代)を予測して「ケースD 見えない洪水」という小説を出したようです。ちなみにこのDとは、最悪のパターンという意味だそうです。

1976年~1983年まで日本BCL連盟の会長職を引き受け、情報誌の月刊短波の発行人を務めていました。他にも、シカゴ大学の客員教授やポンゼショセの教授などにも歴任していたようです。

長野県小県群丸子町(現在の上田市)に移り住みましたが、1999年の2月21日に多発性脳梗塞が発症したため、丸子町にある病院で死去しました。そして5月には、砂漠に埋葬したとされています。

2006年には、早稲田実業学校の校門前に「日本の宇宙開発発祥の地記念碑」が建てられたそうです。この記念碑は、糸川英夫さんがペンシルロケット実験をしてから50周年を記念したもののようです。そして記念碑の形は、ペンシルロケットの形をイメージして1.3mのものです。実験している糸川英夫さんの姿も刻まれているようです。

他にも、2003年には、小惑星の25143に糸川さんの名にちなんで「イトカワ」と命名されたそうです。イトカワという小惑星には、探査機の「はやぶさ」が訪れて、調査とサンプルリターンを行ったようです。イトカワと名付けられた小惑星に、糸川英夫さんが開発に関係していた戦闘機と同じ名前の探査機が着陸したことになります。そのはやぶさは2010年には、地球に帰還したようです。そして2012年には、生誕100周年を記念して内之浦宇宙間観測内に糸川英夫さんの銅像が建てられ除幕式も行われたそうです。

このことから糸川英夫さんという人がどれだけすごい人だったかということが、おわかりいただけたと思います。
学生時代がすごい優秀でしたし、ロケットに興味もなかった人を自分の力変えることは、誰でも出来ることではありません。 そして、初めてのロケットも糸川英夫さんが開発したものですから、そのことから「日本の宇宙開発、ロケット開発の父」と呼ばれるようになったのだと思います。
記念碑や銅像に興味がある人は是非見に行ってみてはどうでしょうか。

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